セブン-イレブン・ジャパンの創業者であり、コンビニエンスストアを日本の日常生活に欠かせないインフラへと変えた立役者、鈴木敏文氏が5月18日、93歳で逝去した。彼は20世紀において最も重要な小売業の破壊者の一人だった。そして彼のキャリアは、ビジネス史上最も示唆に富む物語の一つでもある。それは彼がどのように登り詰めたかではなく、どのように幕を閉じたかという点においてである。
私はこの機会に、『Disrupt or Be Disrupted』と『Charismatic Disruption』の両書で直接論じていることについて語りたい。それは、破壊者が「破壊とは目的地ではない」という事実を忘れてしまう、危険な瞬間についてだ。破壊とは姿勢である。その姿勢を手放した瞬間、誰か別の人間がそれを拾い上げる。
すべてを変えた破壊
1973年、鈴木氏はイトーヨーカ堂の幹部だった。日本市場は急速に変化しており、その向かう先は一方向だった。大型化である。アメリカ式のスーパーマーケット、規模、数量、アナリストたちの見方は明確だった。小さな近所の商店は時代遅れになる、と。
鈴木氏はそのコンセンサスを無視した。彼は米国出張中にセブン-イレブンの店舗を目にし、自社の誰も気づかなかったある可能性を見出した。社内の反対意見と戦い、サウスランド社とフランチャイズ契約を結び、1974年に東京・豊洲に日本初の24時間コンビニエンスストアを開いた。
そこから生まれたのは、単なる拡大ではなかった。それは再発明だった。鈴木氏はアメリカのモデルをそのまま模倣しなかった。日本向けに完全に作り直したのだ。彼は各地域の住民が何を、何時に購入しているかをリアルタイムで追跡する在庫管理システムを設計した。「データドリブン小売」という言葉が生まれるよりずっと前に、鈴木氏はすでに小さな町の店舗でそれを実践していた。彼は調理済み食品をプレミアムカテゴリーに育て上げた。コンビニを、公共料金の支払いも、ATMも、宅配便の受け取りも、深夜3時のアツアツの食事も可能にする場所に変えた。彼はコンビニエンスストアを、社会インフラへと昇華させたのだ。
そして1990年代初頭、セブン-イレブンブランドの元オーナーであるアメリカのサウスランド社がレバレッジド・バイアウトの負債に押しつぶされ、経営破綻した。鈴木氏はその再建を指揮した。弟子が師を超えた瞬間だった。2005年には、すべてをセブン&アイ・ホールディングスとして統合し、20カ国に8万5000店舗を擁するグローバル小売複合企業を築き上げた。
これが、ほとんどの人が記憶する鈴木氏の姿だ。当然のことである。
訃報が語らない部分
しかし、もう一人の鈴木氏がいる。晩年にアクティビスト投資家のダン・ローブとの取締役会での対立に費やし、最終的に経営刷新案の採決で敗れ、2016年にCEOを辞任した鈴木氏だ。
辞任の際、鈴木氏は投資家コミュニティを責めなかった。短期主義も、恩知らずの取締役会も、資本市場の変質も責めなかった。自分自身を責めた。そのような姿勢は稀であり、称賛に値する。しかし私はさらに踏み込んで、より難しい問いを提示したい。実際に何が起きたのか、と。
『Disrupt or Be Disrupted』の中で私はこう主張している。成功した破壊者が直面する最大のリスクは、外部からの競争ではない。それは成功に伴って内部で起きる「結晶化」だ。破壊を成立させたシステム、構造、確信そのものが、次の破壊を妨げる壁になる。
鈴木氏は卓越した組織を築いた。しかしローブが現れた頃、セブン&アイ・ホールディングスはスーパーマーケット、百貨店、金融サービスへと拡張していたが、いずれもコンビニ事業のレベルには届いていなかった。鈴木氏にはグループの次の方向性についてのビジョンがあった。しかし取締役会はそれに同意しなかった。この対立が危機へと発展した。
これは私が日本および世界の組織で繰り返し目にしてきたパターンだ。市場を破壊したリーダーは、時間をかけて、次に何が来るかについての確信を深め、組織を他の可能性に対して閉じていく。破壊とはその本質において、「他者には見えないものを見て、コンセンサスが追いつく前に行動する」という徹底した開放性の姿勢だ。しかし成功はその姿勢を確信へと硬化させる。そして確信は、チェックされなければ、教義へと変わる。
破壊者は、世界が変化しているかどうかを問うことをやめ、世界がどうあるべきかを世界に向けて語り始める。
カリスマティック・ディスラプションのために本当に必要なもの
『Charismatic Disruption』の中で私は、一度きりの破壊者と継続的な破壊者を分ける能力について述べている。それは戦略ではない。(戦略は重要だが。)データでもない。鈴木氏はグローバルの小売業において最もデータを理解していた人間の一人だ。それは私が「ディスラプティブ・キュリオシティ(破壊的好奇心)」と呼ぶ能力の、規律ある維持だ。自分のモデルが機能しているときでさえ、そのモデルに問い続ける能力である。
鈴木氏は1970〜80年代にこの能力を豊かに持っていた。彼の物語が問いかけるのは、なぜ組織が成長し成功するにつれて、それを維持することがこれほど難しくなるのか、ということだ。
答えの一つは構造的なものだ。破壊的なアイデアが制度へとスケールアップするにつれ、不確実性に最も慣れていた人々が、自然に、徐々に、確実性を運用することが得意な人々に置き換えられていく。それは失敗ではない。成長の論理だ。しかしそれは、リーダーの破壊的本能と、組織がそれに応える能力との間に危険なギャップを生む。
答えの一つは心理的なものだ。成功は強力な麻酔薬だ。元の破壊を駆り立てた切迫感を和らげる。特に日本では(鈴木氏が商業的な優位性だけでなく、人々の日常生活に織り込まれた会社を築いた国では)成功はほとんど神話的な性質を持っていた。インフラのように感じられるモデルを問い直すことは、非常に難しい。
そして答えの一つは、次の破壊が異なる問題だということだ。セブン-イレブン・ジャパンは今も、世界最高のコンビニエンスストアオペレーターであり続けている。彼の破壊は成立した。失敗したのは次の章、成熟したコングロマリットを次世代の成長に向けて再配置することだった。それは新しいビジネスを立ち上げることとは異なる挑戦であり、異なるリーダーシップ能力を必要とする。
すべてのリーダーへの問い
私はこの話を鈴木氏を貶めるために語っているのではない。彼の功績はいかなる基準から見ても卓越している。私がこれを語るのは、彼のキャリアが『Disrupt or Be Disrupted』の核心にある教訓を体現しているからだ。
破壊とは、一度行って永遠に所有できるものではない。それは継続的に行わなければならない。競合に対しても、そして更に重要なのは、自分自身に対しても行なわねばならないということである。
私が日本で一緒に仕事をさせてもらっている外国人エグゼクティブたちは、この課題に毎日直面している。彼らは破壊的な意図を持って乗り込んでくる。新しいモデル、ビジネスの新しいあり方、新しい期待を持って。多くの人が成功する。本物を作り上げる。そして静かに、年月をかけて、彼らが作り上げた組織は、彼らが破壊するためにやって来た相手の組織に似てくる。プロセスは固まる。前提は問われなくなる。一貫性とスケールの名のもとに、もともとの破壊的な鋭さは管理されてなくなっていく。
鈴木氏のストーリーからも分かるように、これは性格の欠陥ではない。組織の重力だ。これまで機能してきたすべての制度、すべてのリーダー、すべての戦略に引力として働く。
それに対する唯一の防御は、破壊をリーダーシップのあり方の構造に組み込むことだ。危機への対応としてではなく、一度きりの戦略的施策としてでもなく、常設の実践として。それを、通常のこと、必須のこと、組織として安全なこととして定着させること。
鈴木氏も1970年代に、この問いかけをした。「もし通説が間違っていて、それを証明するのが私たちだったら?」彼はその問いに見事に答えた。彼の仕事全体がその証明だった。
これを読んでいるリーダー達が問いかけるべきは、鈴木氏の素晴らしさについてではない。鈴木氏は明らかに素晴らしい人であった。問いかけるべきなのは、今日、すでに作り上げたモデルについて疑問を呈しているのは誰か。そして彼らが疑問を呈したときに、どのようなことが起きるか、ということである。
Steve’s New Book: Disrupt or Be Disrupted