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2月、トヨタ自動車は、CFO(最高財務責任者)を務め、豊田章男会長の秘書を8年間務めた近健太氏が新社長に就任すると発表した。海外の一部報道はこれを「創業家への回帰」と捉えた。豊田章男氏の息子であり創業家の曾孫にあたる豊田大輔氏が、ほぼ同時期にトヨタの母工場である元町工場の要職に就いたことが、いずれ創業家がトップに返り咲く布石だと見られたためだ。
しかし実際には、どちらの見立てよりも興味深い実態が浮かび上がる。そしてそれは、日本企業の後継シグナルを読み解こうとする海外の経営者にとって、多くの示唆を与えてくれる。
何が起きたのか
近氏は「クルマ人間」ではない。豊田章男氏のようなエンジニアやレーシング愛好家の系譜とは一線を画す、2009年以降で初めてのトヨタ社長である。財務畑でキャリアを積み、CFOとして過去最高益を叩き出し、徹底したコスト規律で知られる。そして見逃せないのが、彼が約10年近くにわたり豊田氏の秘書として支えた経歴を持ち、その後に経理部門のリーダーへと歩みを進めたという事実である。
一方、豊田大輔氏の元町工場への配属は、トヨタで最も由緒ある製造拠点の一つにおける、れっきとした現場のポストである。名誉職でも、社長就任の発表でもない。
この2つの事実を重ね合わせると、単なる王朝的な世襲というより、トヨタが同時に2つの経路でリーダーシップの厚みを築こうとしている姿が見えてくる。すなわち、信頼され、専門性を備えた人物をトップの座で試す一方、将来の後継候補と目される人物には、近道ではなく、実際の重圧の中での経験を積ませているのである。
「リーダーシップの厚み」という読み方
私は長年、日本内外を問わず経営者たちに、承継が危機に陥るのは、たいていリーダー育成を「規律」ではなく「イベント」として扱ってきた結果だと伝えてきた。私はこれを「良い選択肢がない領域(Land of No Good Options)」の罠と呼んでいる。社内の人材層は薄く、社外からの登用は時間がかかり不確実、そして基準を下げれば、一つの問題を、より深刻な別の問題にすり替えるだけだ。
そこから抜け出す近道はない。年月をかけて、いくつかの具体的な実践を積み重ねることでしか道は開けない。それが私の提唱する「パーペチュアル・リーダーシップ・ベンチ(永続的リーダーシップの厚み)」を支える4つの要諦である。今回のトヨタのケースでは、そのうち2つが特に重要な役割を果たしている。第一に、すべてのリーダーは、緊急性に迫られるずっと前から、後継者の育成とコーチングに日々取り組まなければならない。リーダーシップは教室で教えられるものではなく、実際に率いる行為の中で、継続的に、そして役職の上下にかかわらず、組織のあらゆる階層で十分な人材の厚みを確保できるようコーチングされるべきものである。したがって、リーダーシップ開発は人事部任せや一部の選ばれた人材だけのものにするのではなく、組織文化そのものに組み込まれなければならない。第二に、部下たちには、今の役職より一段上の責任に実際に触れさせる必要がある。そうすれば、その瞬間が訪れたとき、彼らはすでにその領域の縁で経験を積んでおり、不意打ちを食らうことはない。
近氏が豊田氏の秘書を務めた経歴は、トヨタが公にそう位置づけているかどうかにかかわらず、まさに「メンター文化」がもたらした成果と言える。8年間、会長がどのように考え、決断し、重圧に向き合うかを間近で見続け、その後CFOとして実際の経営権限を担ってきた。これは単なる経歴の一行ではない。私が別の場で「実践の中で学ぶ(learning in vivo)」内に書いた「信頼関係と実際の責任を通じて培われるリーダーシップの能力」そのものである。豊田大輔氏の元町工場への配属も、世代を経て同じ仕組みが働き始めていることを示している。戴冠式ではなく、実際の経営の重圧の中での経験である。
このように見れば、近氏の就任は単なるつなぎ役でも慰め役でもない。トヨタは今、生きた評価を行っている。創業家出身でない、専門性を備えた経営者が会社を率いられるかどうかを試しながら、創業家という選択肢は「既定路線」としてではなく、積極的な育成対象として温存しているのだ。これは、「創業家王朝」あるいは「プロ経営者への完全移行」という、どちらの単純な物語よりも、はるかに規律だった承継のあり方だと言える。
海外の経営者が見誤りがちな点
ここで私は、欧米メディアや欧米の投資家たちの多くがこの局面をどう解釈しているかについて、あえて異を唱えたい。日本の外側からは、創業家の関与が続くこと自体を、しがらみを断ち切れない取締役会、既得権益、身内による身内の保護、いわゆるガバナンスの弱さの表れと読む傾向がある。この見方こそが、トヨタグループの再編(トヨタ自動織機の非公開化・買収)に対するエリオット・マネジメントの反対の背景にある。批判派は、この買収が創業家グループの支配力を一段と強め、少数株主の利益を過小評価する価格で行われようとしていると指摘する。
エリオットは、企業の株式を取得したうえで、株主価値の向上につながるとみるガバナンス改革を公に働きかけることで知られる著名なアクティビスト(物言う)投資家である。今回の反対は、洗練された外部投資家がこの買収を「効率化」ではなく「既得権益の強化」と読んでいることを物語る。こうした懸念はまったく正当なものかもしれない。ガバナンスへの懸念と、規律あるリーダーシップの厚み作りとは、互いに矛盾するものではなく、トヨタの経営陣は両方について、それぞれの土俵で説明責任を果たす必要がある。しかし、この2つの問題は切り分けて考える価値がある。創業家の継続的な関与や、後継者をゆっくりと、目に見える形で育てていくことは、それ自体がガバナンスの弱さの証拠ではない。日本企業の文脈では、それはむしろ、実際の権限を委ねる前に、社内の信頼と正統性を築くための仕組みであることが多い。近氏のような、創業家出身でない有能なリーダーを生み出しているのと同じ「メンター文化」の論理である。
日本で活動する海外の経営者にとって重要なのは、創業家や身内による承継を一律に疑うことでも、「日本はそういうものだから」と一律に容認することでもない。規律あるリーダーシップの厚み作りと、伝統を装った既得権益の固定化とを見分ける、具体的なシグナルを読み解く力を養うことである。後継者候補は実際に本物の重圧の中で任務を遂行しているのか、それとも肩書きを積み重ねているだけなのか。権限は試され評価されているのか、それとも当然のものとして与えられているのか。創業家出身でない候補が本当に選択肢として競っているのか、それとも「プロ経営者」という体裁は、実質的な権限を持たないただの繋ぎ役にすぎないのか。
創業家出身でなく財務規律に長けた人物をCEOの座に置き、リアルタイムで評価しつつ、有力な創業家出身の後継候補には、いきなりの登用ではなく実際の経営の重圧の中で経験を積ませるトヨタの現在の布陣は、リーダーシップの厚みという観点から見れば、より規律だったやり方だと言える。それが実を結ぶかどうかは、発表そのものよりも、近氏に実際にどれだけの権限が与えられ、それをどう行使できるかにかかっている。
結び
大規模な組織における承継とは、本来、誰が肩書きを得るかという話ではない。空席が生まれる前から、地道に、目立たない形で、メンタリングと実際の経験を通じて、準備の整った人材を育ててきたかどうかという話である。トヨタの今回の動きは、創業家が支配力を守ろうとしている物語というより、機能している「パーペチュアル・リーダーシップ・ベンチ」の実例と見るべきだろう。2つの経路で人材が試され、正当に評価され、実践で実力を証明していない者には権限が与えられていない。
これは、創業家企業であろうとなかろうと、日本であろうとどこであろうと、すべての経営者が築くことのできる規律である。多くの経営者は、すでに「良い選択肢がない領域」に追い込まれるまで、それに着手しない。トヨタは、その周辺で渦巻くガバナンスをめぐる疑問がどうであれ、少なくともその一つには当てはまらないように見える。
あなたの会社ではどうだろうか。承継は「イベント」だろうか、それとも「規律」だろうか。組織のあらゆる階層に「永続的なリーダーシップの厚み」を確保するために、あなたは今、何をしているだろうか。
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