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ある営業チームには在庫があり、顧客はそれを買いたいと言った。会社にとって売上が必要なタイミングでもあった。
ところが営業担当者たちは、それを断ったのだ。
売れなかったからではない。商品がなかったからでもない。彼らが販売を拒んだのは、その取引によって自分たちの売上予測の精度が悪く見えてしまうからだった。そして彼らは、その「予測精度」で評価されていたのだ。だから彼らは、現金を持った意欲的な顧客を、KPIを守るために追い返したのだ。
この会社の社長がこれを知ったとき、彼は激怒し、そのKPIを完全に廃止した。本社の意向に真っ向から反する形で。そして、彼のその判断は正しかったのである。
この話は、あなたを不安にさせるはずだ。営業担当者たちが悪い社員だったからではない。彼らは悪くなかった。彼らは、目の前にあるインセンティブ制度に対して合理的に反応していたにすぎない。まさにそこが、この話の危険なところなのだ。
指標が使命になるとき
経済学には「グッドハートの法則」という原則がある。ある指標が目標そのものになった瞬間、それはもはや良い指標ではなくなる、というものだ。
KPIは業績を追跡するために設計されている。しかし、人がそのKPIによって評価されるようになった瞬間、人々は本来の事業目標の最適化をやめ、その「数字」の最適化を始める。指標は、それが本来映し出すべき現実から離れていく。そして最終的には、上の話のように、人々はビジネスに実害をもたらす判断を下すようになる。それはKPI制度があるにもかかわらず、ではなく、KPI制度があるからこそ、なのだ。
KPIとは、事業目標に向けた進捗を測る指標である。KPI自体が目標なのではない。「予測誤差」は指標、つまりKPIであって、事業目標ではない。この例における本来の事業目標は、おそらく「廃棄・ロスの最小化」であり、予測誤差の最小化ではなかったはずだ。しかし、その目標が明示されなかったために、社員たちはこのKPIを「予測誤差を最小化すること」だと解釈した。もし目標が明示されていたなら、社員たちは在庫を売っていただろう。目標が語られなかったからこそ、KPIそのものが目標になり、社員たちは販売を拒んだのだ。
あなたの組織にあるKPIを思い浮かべてほしい。明確な事業目標に結びついていないKPIは、意図しない結果を招くリスクを抱えている。事業目標と切り離してKPIを運用することには、相応の危険が伴うのである。
この会社で起きたことは、決して異常な出来事ではない。それは、「測定」を「経営」と取り違えたことの、当然の結果にすぎず、この二つは同じものではない。
アカウンタビリティという幻想
リーダーがKPIに頼りたくなるのは無理もない。KPIは、アカウンタビリティ(責任の所在)であるかのように感じられるからだ。数字を設定し、人々はそれを達成するか、しないか。それに応じて報奨するか、修正するか。単純明快で、数値化されており、一見「経営」らしく見える。
しかし、マネジメントはリーダーシップではない。KPIのみによるマネジメントは、厳密さを装った責任放棄にほかならない。
本物のアカウンタビリティには判断力が必要だ。状況についての判断、トレードオフについての判断、ダッシュボードが示す数字ではなく、事業が今まさに必要としているものについての判断。文脈を欠いたKPIは、その判断力をシステムから奪い去る。それを単なる数字に置き換え、「重要なのはこの数字だ」と社員に伝えてしまうのだ。
あるグローバルな欧州企業の日本法人CEOは、店長たちに起業家的な思考を育んで欲しいと考えていた。立派だが、なかなか大胆な目標である。彼が提案したアプローチは、店長たちにKPI(売上、ロス率、人件費対売上比率、諸経費など)を与え、その数値について責任を負わせるというものだった。無理もない、これらはまさに、本社が世界中の各拠点に義務付けているKPIなのだから。こうした議論は、日本国内はもちろん、世界中の役員室やオフィスで日々行われている。
問題はここにある。本物の起業家は、指標を最適化しようとはしない。事業の成果を最適化しようとするのだ。彼らは全体像を理解し、トレードオフを判断する。すべてのKPIを達成しながら、静かに顧客を失っている店長は、うまくやっているのではない。きれいなスコアカードを保ちながら、ゆっくりと事業を破壊しているのだ。
考えてみてほしい。ある店長が、人件費対売上比率を6か月間完璧に目標どおりに維持していた。すべての指標が「グリーン(良好)」だった。しかし、その数字を達成するために、人員配置を過度に切り詰めていた。サービスの質は落ち、顧客は他店に流れていった。指標は完璧に見えたが、事業そのものは壊れていっていたのだ。
これを解決するために、KPIをさらに追加することもできる。しかしそうすると、KPI同士が競合し、時には矛盾し合う指標の混沌に陥り、それらをまとめる一貫した論理は失われる。新しいKPIが一つ加わるごとに、他の指標の重みは薄れていき、システムは雑音となってしまう。
多くの企業では、日本国内でも他国でも、KPIによるマネジメントが常態化している。しかし、KPIのみによるマネジメントが起業家的思考、ましてや起業家的な行動を生み出すことは、決してない。それが生み出すのは「指標管理」であり、それは起業家精神とはまったく正反対のものだ。
マネジャーは「物事を正しく行うこと」にこだわる。一方で起業家は(少なくとも成功する起業家は)「正しい物事を行うこと」にこだわるものだ。
事業の当事者が実際に見ているもの
社員に事業の当事者(オーナー)のように考えてほしいなら、事業の当事者が実際に何を見ているのかを、彼らに見せる必要がある。
事業のオーナーは、KPIだけで事業を経営しているわけではない。彼らは、事業全体の経済的な全体像を理解しながら経営している。KPIは「計器」であり、方向性と勢いを示してくれる。しかし、損益計算書(P&L)のような財務資料は、その「理由」を示してくれる。決定と結果の関係を示し、単一の指標の表面の下で実際に何が起きているのかを示してくれるのだ。
よくある誤りは、P&Lなどの資料を「財務のための文書」として扱うことだ。店長にとって、本社や税務当局への報告用に作られた標準的なP&Lは、雑音にすぎない。店長にとっては情報が多すぎるか、少なすぎるかのどちらかであり、粒度が合っていない。それは別の目的を持つ別の人々への報告のために作られたものであり、その事業の管理者が意思決定を行うためのものではないのだ。本当に必要なのは、マネジャーが自分の業務について迅速かつ的確な判断を下すために必要な情報を、まさにその目的のために設計した報告資料である。それは特定の目的のために作られた文書であり、リーダーシップのための道具なのだ。
そうした報告資料を、適切なKPIと明示的な事業目標と組み合わせれば、強力な仕組みが生まれる。KPIは何が動いているかを示す。目標は、どの事業成果に向かっているのか、あるいは離れているのかを示す。目的に応じて設計されたその他の資料は、それらが何を意味し、なぜそうなっているのかを示す。これらが揃って、はじめて「実際に行動につながる情報(アクショナブル・インテリジェンス)」となる。それこそが、事業のオーナーが経営に用いているものなのだ。
ノーと言ったCEO
予測精度のKPIを廃止したCEOは、無謀だったわけではない。彼は測定そのものに反対していたわけでもない。彼は、彼の立場にいるほとんどのリーダーが持ち得ない勇気ある行動をとったのだ。彼は、企業のプロセスよりも、事業の現実を選んだ。
本社はその指標を求めていた。営業担当者たちはそれを操作していた。顧客は追い返されていた。彼はその状況を見つめ、決断を下したのだ。数字についての決断ではなく、自分がどのような組織を率いるのか、についての決断を。
それこそがリーダーシップである。まさに、恐れを知らぬリーダーシップだ。KPIそのものが問題だった。彼は本社の意向に反して、それを取り除いたのだ。
問うべき問い
KPIを導入する前に、考えて欲しい。「この指標は、実際にどのような行動を引き起こすのか」。
あなたが「引き起こしたい」と意図している行動ではない。社員がその指標で実際に評価されるようになったとき、実際に引き起こされる行動は何か、である。
その答えに居心地の悪さを感じるなら、それは重要な情報だ。あなたが望まない合理的な行動を生み出す指標は、測定の問題ではない。それはリーダーシップの問題だ。そして、指標をさらに増やしても、それは解決しない。
KPIの暴政とは、指標そのものが間違っているということではない。それは、リーダーが「測定」を「経営」と取り違え、リーダーシップだけが提供できる判断力を放棄してしまうときに生じるものなのだ。
問うべきは、社員が正しいKPIを持っているかどうかではない。社員が、自社の事業にとって正しい判断を下すための、実際に行動につながる情報を持っているかどうかだ。
その問いへの答えこそが、あなたをKPIの暴政の先へと導いてくれる。
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KPIの暴政

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