何年も前のことになりますが、当時自分の力でソフトウェア関連のビジネスを起こそうとしている起業家と話す機会がありました。彼はベトナム戦争時にCIA捜査官として働いていたそうで、ラオスでは多国籍特別部隊と時間を共にしたと言います。
彼は当時のことを思い出しながら、「私の人生において、ジャングルの中で銃を発射されつつ追いかけられた時ほどストレスを感じたことはありませんでした。」と語り始めました。「ですからビジネスにおけるリスクやストレスには強いんです。」
私は戦場の経験はありませんが、戦火のもとでのプレッシャーを経験すれば、ものの見方も変わるものだろうと想像することはできます。
ビジネス界に生きる私たちのその殆どは、そのような生死に関わる状況に直面したことはありません。しかし、リーダーの地位にあるようなマネージャーが、誰かに銃を向けられつつ追われているような気持ちで毎日仕事に望んでいるような様子を目にすることはよくあります。
日本語には真剣という言葉がありますが、それは剣道で使う竹や木でできた剣ではなく、「本物の剣」を意味する漢字でできています。木刀であれば間違いも許されますが、本物の剣を使ってミスをすれば、その影響はずっと残る、というわけです。
富士フイルムの古森重隆CEOは、トップマネジャーが「本物の剣」を使って戦っている一方、中間マネジャーと役員は、間違いから学ぶ機会を得られるような、木刀で戦っていることに気が付きました。本物の剣と同じく、トップマネージャーが下した決断が結局うまく行かなければ、後々まで響くような影響をもたらす可能性、更にはビジネス全体に悪影響を与えたり崩壊させてしまったりする可能性があるというのです。彼の見解によると、もしCEOがそのような戦いに負けるということはキャリアの終わりをも意味するのに対し、中間マネージャーが負けたとしたら、その責任を負うのは彼らの上司なのだそうです。CEOにとって、間違いとは許されないものであり、そのせいでとにかく勝つために必死になってしまうのだ、と彼は見ています。
古森氏がこのような見方に行き着いたのにはちゃんとした理由があります。デジタル写真が台頭し始め、富士フィルムが大きなシェアを誇っていたフィルム市場が縮小していく中、彼は2000年に会社のトップを引き継ぎ、困難な時期に会社を引っ張ってきたのです。それまで年間の事業収入の殆どはフィルムビジネスからのものでした。古森氏はそこで画像作成などとは全然関係のない業界にも使えるような専有技術に投資をすることで、会社を救ったのです。これらの試みの多くは失敗に終わりましたが、会社を窮状から救い生き抜くために十分な数の試みは成功しました。現在では富士フィルムでもっとも稼いでいるビジネスは、デジタルカメラビジネスとは何の関連もないものです。
富士フィルムの競合相手であったコダック社の場合、単にそのリーダー達がデジタル写真が台頭していくという可能性を受け入れることを拒み続けたから失敗した、というわけではありません。彼らも同時期にビジネスの多様化を狙った同様の戦略を試みはしたのですが、結局うまくいかず、2012年には破産申告をする羽目になりました。このレベルの戦いになると、本物の剣が使われる、というわけです。
I have rarely, if ever, witnessed a mid-level manager fired for having taken on a reasonable business risk that did not work out. Share on Xしかし私は、中間管理職の人々が新たなプロジェクトの可能性について語る時、まるでそれが本物の剣を使った戦いとなるように描写するのをしばしば目にしたことがあります。
例を挙げましょう。先日、ある戦略ディレクターと話した時のことです。彼は現在の戦略開発・管理プロセスに問題があり、そのせいで効果的ではないということに長い間気付いていましたし、それをうまく解決する方法も分かっていました。それにも関わらず、やり方の改善についてCEOや管理部門の人々にそのことを説明することを避けていました。説明することが戦略ディレクターとしての彼の責任の一部であるのも明白であるのに。彼が恐れていたのは、説明をすることで好ましくない影響が出てくるかもしれない、ということでした。確かにCEOや他のマネージャーから否定的な反応があるというリスクは存在します。しかし彼は、説明を試みてそれが失敗した場合の取り返しのつかないような影響が出る可能性について、歪んだ見方を持っていました。つまり実際には木刀を使っているにも関わらず、真剣で戦いに望んでいるつもりになっていたのです。この程度のリスクに萎縮してしまうようなマネージャーが、真の勇気と大胆なアクションが必要な面に出くわした時、それを乗り切れるとは思えません。
このような考え方をしているのは彼だけに限ったことではありません。私もこれまでに、どのような失敗でも修復はきかないと感じている中間管理職の人達をしばしば見てきました。その多くにとって、そのような考え方は行動を起こさないことの言い訳を与えてくれます。そして躊躇することが習慣になることで、学習することも妨害されてしまいます。暗黙のうちに、あるいは規則の一部として年功序列制がまかり通っていたり、失敗をしたことがないということが美化されるような企業では、中間管理職は、毎年毎年引き延ばす案件が溜まりに溜まり、それによって苦しんでいる人々で溢れています。
失敗は許されないと考えること自体は、間違ってはいません。しかし、失敗に対する反応に誤りがある事はあります。古森氏は失敗すれば後が無い、という思いを持って、会社を成功に導きました。彼ほどではない人々は、単に失敗したくないという思いで働いています。この二つは同じではないのです。
あなたの会社のマネージャー達は、自分はどちらの剣で戦っていると思っているでしょうか。
自分の剣は賢く使いましょう。そしてどちらにせよ、誰もあなたを撃とうとはしていない事は頭に入れておいてください。